丸山智洋さんのお祖父さんの写真を展示しています。
ひと足早く春が来ました。
祖父 丸山清司 のこと
丸山智洋
大正生まれの亡祖父「清司」は昭和10年、
11歳のときに、商売をしていた曽祖父
「直吉」のおつかいで取引先に集金に行った帰り、
以来、80年近いカメラ小僧人生を送りました。
晩年は酸素吸入が必要になり、遠くまで撮影には
行けなくなったたものの、それでも長年こだわっていた
フィルムからデジタルへシフトし、80の手習いで
フォトショップもなんとか操作して庭の花などを
撮りためていました。
フォトショップもなんとか操作して庭の花などを
撮りためていました。
「多分の略歴」
11歳でカメラを手にして夢中になるも、時代は厳しく、
兵役についていた戦時中に母・父が相次いで没。
終戦後、一から光学ガラス製造の事業を起こす。
以後、仕事をしながら趣味としてカメラを続ける。
時期は不明ですが、事業が軌道に乗ってから
大阪市の日本写真映像専門学校に通うようになり、
本格的にカメラの勉強を始めるようになりました。
大阪市の日本写真映像専門学校に通うようになり、
本格的にカメラの勉強を始めるようになりました。
その後、早期に事業をたたんで、複数のアマチュア
写真クラブに所属して撮影会に行くようになり、
おそらく30年以上の写真人生を送ったものと思われます。
写真クラブに所属して撮影会に行くようになり、
おそらく30年以上の写真人生を送ったものと思われます。